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「国境を越えたボランティア活動」
カテゴリー 日本
北海道日中友好協会名誉顧問、札幌ユネスコ協会副会長古本英之氏が、1334回札幌市倫理法人会MSで、「国境を越えたボランティア活動」の講話をしました。

古本講師、1945年生まれ、国民学校で育ち、10人兄弟の八番目、貧しい子供時代を過ごしました。当時民間平均月給2万円の時、月給1.4万円の公務員教師になりました。外国に行きたくて、戦後国際社会から孤立された日本人として、外国に行けない時期でした。

そのため、日本仙台発の国際民間団体、後で日本が国際社会に戻ることに貢献できたユネスコ協会に入り、指導者としてマレーシアやタイのスコータイ(世界遺産)に派遣しはじめ、色々な国でボランティアして来ました。

日本識字の原点が江戸時代の寺子屋から、1990年ユネスコの国際識字年として、世界の寺子屋運動を全面的に協力し、バングラデシュから、今はカンボジアまで寺子屋を作り続けています。民間ボランティア、街頭募金で得たお金が、人件費など一円も引かないで、全額国際活動に活用するのは、ユネスコ協会の特徴でした。

当時欧米を中心とする日本の社会風潮の中、あまり人気のない前ソ連や中国の担当になり、幅広く世界の人々と交流をしました。北海道日中友好協会理事長、名誉顧問として、年間数回中国へ行きます。中国でいつも親切にされた自分が、なぜ最近のアンケートで、両国民が相手に対してイメージがよくない結果になることが、理解できないです。

国のボランティア組織JICA「青年海外協力隊を育てる会」の第三代委員長も勤めたことがあり、日本女性のエネルギーを感じました。現在民間人として、現在も国際友好活動を続け、当時教員になること、時間と自由があって、国境を越えたボランティア活動できることに、感謝しています。

戦争が人々の心を傷つけています。自分は国際ボランティア活動を通じて、人々の心の中で、平和の種を植えたいと言った古本氏の言葉に感心しました。

個人的に、日中友好協会やユネスコ協会などに、色々なところで、古本氏と親しくなりました。こんな話しを始めて聞き、ご本人の数年前の癌から立ち上がる原動力が、分かるようになりました。
2012-06-28