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30年前、軽自動車で道東を回った「夢の旅行」
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財界さっぽろ2024年九月号に、今振り返る、私の思い出紀行第十三回に30年前、軽自動車で道東を回った「夢の旅行」を掲載しました。

私は祖母が函館出身の日本人で、中国上海生まれの日系三世です。1986年に中国第二軍医大学医学部を卒業して中越国境紛争の軍医などを経験した後、上海市内の病院に勤務。その後、94年に北海道大学医学部の大学院博士過程に合格して、98年に博士号を取得し卒業。同年札幌市内に診療院を開設して中国医学伝統自然療法の施療を続けています。

旅といえば、大学院時代の2年目。95年春のゴールデンウィークに家族、友人と回った道東方面の旅行が北海道を深く知るきっかけとなり、今も強く印象に残っています。

一緒に回ったのは、私たち夫婦と弟夫婦に姉を入れた5人と、上海の病院で一緒だった日本に留学中の中国人看護師2人の全7人です。私と弟の軽自動車2台で2泊3日、走行距離は1200Km、宿泊はテントと民宿という貧乏旅行でした。行く先々では初めて目にする風物や、親切で愉快な人達との出会いがあり、30年経った今も「夢の旅行」として忘れられません。

当時、世界一長いとされた帯広の400メートルベンチ、釧路湿原の丹頂の里、阿寒湖や知床5湖の美しく、静かな佇まいからも、自然の見事な創造力が伝わってきました。

網走では、後に中国でも人気となった高倉健さんの映画の舞台となった網走刑務所の観光施設で入牢体験などをしました。ただこの時、鉄格子の中に入って撮った記念写真が「いくら観光施設でも牢に入るとはみっともない」と母から叱られたのを覚えています。

また、網走では宿泊を予定していた民宿の場所がわからず、夜中でもあり、現在のようにカーナビもなかったため、途方にくれました。そんな中でも何とか電話が通じ、宿の主人に迎えに来てもらい、温かい食事でもてなしてくれたことに深く感激しました。この主人は北海道についての知識が豊富で、北海道好きの私にとってはかけがえのない出会いとなりました。

私はこの旅に出るまでは、北海道のイメージは「日本と言う小さい島国の中の小さい島」と言うものでしたが、軽自動車で旅する中で「なんと広くて、自然豊かで変化に富んだ大地なんだろう」と驚愕しました。

また、各地に散在する遺跡などから、北海道は歴史的にも独自に歩んでいる事が分かり、この旅をきっかけにして北海道の歴史の文献資料に目を通すことも多くなりました。

私は今、札幌観光大使を勤めており、札幌をはじめ、北海道の素晴らしさを本土の人達に伝えています。

この旅の2年後に稚内方面を訪れましたが、折に触れての道内探訪旅行も、現在まで回を重ねる事となりました。さすがに軽自動車での旅は卒業しましたが・・・。
2024-08-17