陶氏診療院

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「不為良相、便為良医 」
カテゴリー 中国医学
范仲淹(はんちゅうえん、中国の北宋の名臣・政治家・軍事家・文人)、散文『岳陽楼記』(岳陽楼の記)中の「天下を以て己が任となし、天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみにおくれて楽しむ」の心は、今でも中国の小学校教科書に登場するほど、中国歴史上の有名人です。彼の「先憂後楽」も後楽園の由来になりました。

范仲淹が、小さい時に、神霊を祈り、将来に「宰相」になれるかと尋ねたところ、八卦で「できない」と示しました。さらに神霊を祈りして、「良医」になれるかの逸話から、「不為良相、便為良医(良き宰相とならずんば、良き医者たれ) 」の由来でした。古代の文人は、国を制する「宰相」を最高目標とし、范仲淹は「宰相」できなくても、国民の苦痛を解消できる「良医」にもしたいほど、社会貢献する心は、小さい時にも持ちました。のち、「宰補」(副宰相)なり、それでも、医学を熟知した范仲淹は、いろいろな処方を提供して、周囲の大臣に疾病を解消しました。

国つくりと身体つくりは、同じ原理で、情報判断、目標と実行力を求めています。宋の時代、医者は地位が低いので、楽師と同じに、士農工商中の「工」のレベルです。范仲淹は医術で、周囲の人々に治療することに、「詰問」されました。范仲淹の答えは、仕事のレベルより、民衆の問題解決するととは、「相」のするべき義務と認識して、良い政治家の模範として、今でも医療と政治問題を述べる時に、よく用いて活用される人物でした。「不為良相、便為良医 」も今の人々に、医者になる理由の用語になりました。
2021-02-12