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「すべては師匠林家三平の出会いから!」
カテゴリー 日本
3月1日札幌倫理法人会第1613回経営者モーニングセミナーは、講師に落語家・手話落語家林家とんでん平氏をお迎えして、テーマ「すべては師匠林家三平の出会いから!」にてご講話いただきました。
1978年らくごをしらなかった講師(当時26歳)が師匠林家三平の生の落語を、札幌市民会館でみて、この人についていこうと決断しました。一年の考えの結果で、小樽から東京までリヤカーを引き38日間1,000㎞で、入門の旅で上京しました。一回目が入門を断れ、一年手紙を書き続けて、1980年やっと念願の初代林家三平の最後の弟子になりました。講師はその時28歳でした。入門後50日、師匠は他界して、林家こん平門下へ修行し、六年半修行をして、見習いから二ツ目昇進し、東京から沖縄2,000㎞、日本縦断リヤカー落語行脚に、役四か月後達成しました。その時、耳不自由の観客と出会い、聞こえない方に落語の楽しさを伝えるため、手話落語を手掛けました。
1992年埼玉から本州一週140日間4,000㎞リヤカー手話落語行脚を行い、94ヵ所で披露しました。1996年真打昇進しました。国内外手話落語を公演し、日本テレビ「笑点」に手話落語で出演もしました。2000年子供のため、札幌に移住し、2003年札幌市議会議員になり、3期12年務め、福祉の現場で落語の笑いを伝え続けていました。2016年震災の被災された方々に笑ってもらうため、全国6,000㎞落語行脚102日間82ヵ所も行いました。現在「すすきの演芸場(ジャングルハウス)」の開設に至るまでの波乱万丈のお話をして頂きました。
最後林家とんでん平氏は手話落語「みそ豆」を語り、「・・・お代わり」の落ちを笑いで届けました。
今日の出席者47名47社、女性17名でした。
1978年らくごをしらなかった講師(当時26歳)が師匠林家三平の生の落語を、札幌市民会館でみて、この人についていこうと決断しました。一年の考えの結果で、小樽から東京までリヤカーを引き38日間1,000㎞で、入門の旅で上京しました。一回目が入門を断れ、一年手紙を書き続けて、1980年やっと念願の初代林家三平の最後の弟子になりました。講師はその時28歳でした。入門後50日、師匠は他界して、林家こん平門下へ修行し、六年半修行をして、見習いから二ツ目昇進し、東京から沖縄2,000㎞、日本縦断リヤカー落語行脚に、役四か月後達成しました。その時、耳不自由の観客と出会い、聞こえない方に落語の楽しさを伝えるため、手話落語を手掛けました。
1992年埼玉から本州一週140日間4,000㎞リヤカー手話落語行脚を行い、94ヵ所で披露しました。1996年真打昇進しました。国内外手話落語を公演し、日本テレビ「笑点」に手話落語で出演もしました。2000年子供のため、札幌に移住し、2003年札幌市議会議員になり、3期12年務め、福祉の現場で落語の笑いを伝え続けていました。2016年震災の被災された方々に笑ってもらうため、全国6,000㎞落語行脚102日間82ヵ所も行いました。現在「すすきの演芸場(ジャングルハウス)」の開設に至るまでの波乱万丈のお話をして頂きました。
最後林家とんでん平氏は手話落語「みそ豆」を語り、「・・・お代わり」の落ちを笑いで届けました。
今日の出席者47名47社、女性17名でした。
2018-03-05