陶氏診療院

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戦後日中友好のきっかけ
カテゴリー 日本
11月10日、日中両国民心中の名俳優高倉健が83歳でリンパ癌で亡くなったニュースが18日の新聞に報道され、両国の連日の反響は凄いことです。高倉健の偉大さをもう一度見せて頂きました。

戦後、日中友好のきっかけは中日両国から、国民の心をそれぞれの秤が持っています。

日本側は、両国を友好回復する前、赤十字組織から日本の残留孤児を日本に連れて戻り、または戦犯をほとんど釈放して日本に戻ることを、日本人の心を打ち、両国の友好重要性を感じ、戦後最高の日中友好の種になっていました。

中国側は、社会主義国以外の外国の映画で日本の映画を大きな役割をしました。文化大革命後の一番目の映画は日本の「君よ憤怒の河を渉れ」でした。映画に主演した高倉健さんと中野良子さんは、当時中国人の心の恋人のような存在で、その感情は一気に中国人と日本人の距離が近くなり、映画に映った日本社会は当時中国若者に理想な勉強地として、いつか行ってみたいほどの憧れのところです。その後の現代化のイメージもそこから始まりました。

両国の国民の友好願望は、まさに「啐啄同時」*(そったくどうじ)一言でしょう。戦後最高の日中友好の時期が来ました。そのお陰で、両国の経済・政治・文化の交流と発展も最高レベルになりました。

高倉健一代名優は彼が演じた「杜丘」と一生に去りました。しかし、APEC北京大会の中に両国の首脳が会合を始まったように、もう一度当時の日中友好の熱い気持ちを読み返し、ぜひ日中友好のシンプル高倉健の記憶を、新たな日中友好、アジアの平和と世界の安定をきっかけになり、子供のためにやるべきことを大人らしくやってほしいです。

*「啐啄同時」:啐啄同時とは、鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐」と言います。そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破る、これを「啄」と言います。そしてこの「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が産まれるわけです。これを「啐啄同時」と言います。
2014-11-19