陶氏診療院

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于娟:「なぜ私が癌を患う?」(訳)②無謀な飲食
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ところで、私自身も不思議に感じることがあり、癌と診断された半年間、病気の苦痛以外、楽しいことがとても受けやすい。私は高僧ではないです。病気にならなかったら、こんなに心がすぐ開かないでしょう。癌を患うことで、自分のすべてを手放すことができるようになった。その結果、何でも簡単になる、楽しいことも容易に受ける。名誉、権利、愛情、すべてが大変な努力が必要だし、しかし、どれもあの世に持って行けないのだ。

一年経つ、何回も生死に会い。今の私は文章を打つことができる、そもそも(なぜ私が癌を患う)大事な問題を考える時が来た。客観的に、感情を入れないで、分析し、まとめて、なぜ私が癌を患う?

その答えは私に対してもう無意味と思う。しかし、生きている周囲の人々には、もしか「火の用心」の効果があるかもしれない。私はがん治療で一年間頑張った。人間にもっとも残酷な拷問のような苦痛や、身体から心までぼろぼろにされ、そんなことが他の人に再現させたくない。すべての人に伝えたいこと、この苦難を避けて生きていく、私が一番憎んでいる人にも伝えたい。

なぜそう思うのは、私の理解の角度で、自分は癌になるタイプではないはずだ。

事実の前、私は反省する。どこに落とし穴があり、なぜ神様がこんな大変な試練を私にくれる必要があったのか。

一、飲食習慣

1.無謀な飲食

私は食卓の新しい食材があれば、食べるチャンスを絶対逃さないほうだ。客観的に理由もある。たとえば、父は調理師など。私は食べていけないものを沢山食べてしまった。不完全な統計でも、クジャク、カモメ、クジラ、フグ、ニホンジカ、アンテロープ(カモシカ)、熊、シフゾウ、トナカイ、キョン(吠え鹿)、マムキジ、イノシシ、歩蛇・・・。このように数えきれないほどある。鯨は日本のスーパーで買って食べたけど、他には、いろいろな場面で招待時にご馳走した。しかし、今になって深く反省したら、食べてはいけなかったのだ。

特に「調和危機を救い」番組を見て、貴重な動物を食べ、かれらの命を奪い、私はこれは重い罪と思う。自然界の調和を破壊し、罪のない動物を食べ、自然生命の暴走行為など言わなくても、最も重要なのは、正直に言うと、それらの珍味と言って、味は普通だ。たとえば、かもめの例として、圧力鍋4時間を調理しても、石のような硬くて、食べるときまるで原始森林にある千年の藤、肉繊維が粗くて硬い、やっと一口食べても、繊維が歯に挟み、二日でやっと取れた。

我々は確信したことがあります。我々の祖先の時代に、数千年の知恵を賜り、我々の寿命より無数倍の時間をかけて、我々の生命を養う、食べていい食材の選択は終了したはずだ。もし孔雀が鶏より美味しいなら、今の鶏は孔雀で、孔雀は鶏の運命だ。
2013-07-20