陶氏診療院

アクセスカウンター


過去ブログはこちらから
3
花麒麟と環境――長生きとは何かを考える
窓辺に置いた二株の花麒麟を眺めていると、時の流れがゆっくりになる。

札幌の冬、外は雪に閉ざされ、街は静まり返る。それでも小さな鉢の中では、赤い花が変わらず咲き続けている。

2021年秋、神戸の90代の患者さんからいただいた苗である。翌年の真冬に初めて花を咲かせて以来、五年間、四季を問わず花を絶やさない。神戸では夏だけ咲くと聞いていたが、ここでは一年中、静かに命を表現している。

なぜだろうか。

考えてみると、特別なことは何もしていない。南向きの窓から光が入り、昼は暖かく、夜は少し冷える。水を少し与え、空気を整え、ただそこに置いているだけである。

しかし、その「ただ」が実は本質なのではないかと思う。

診療院に一歩入ると、まず耳に届くのは、鳥のさえずりとやさしい音楽である。24時間、静かに流れるその音は、まるで森の中にいるような安らぎをもたらす。音は空気を整え、人の呼吸をゆっくりにし、空間に穏やかなリズムを生む。

加湿器が静かに働き、ときどき漢方の香りが漂う。人が訪れ、語り、回復を願う。そうした見えない営みが場をつくり、植物もまたその調和の中で生きている。

環境とは、単なる温度や湿度ではない。光、空気、香り、音、そして人の心――それらすべてが重なって、生命を支える場となる。

人はしばしば、長生きを技術や栄養の問題として語る。何を足すか、何を避けるか、どのように管理するか。しかし植物は、もっと静かに教えてくれる。生命は、無理に動かされると弱り、整えられると自然に伸びるのだと。

花麒麟の幹は少しずつ硬くなり、棘は太くなった。それでも姿は若々しい。枝のどこからも均等に花が咲く様子は、まるで全身に気が巡っているかのようである。

東洋の思想では、天・地・人の調和が説かれる。光と季節が天、土と水が地、そしてそこに関わる人の在り方が人である。三つが整うとき、生命は無理なく続く。

さらに言えば、音もまた環境の一部である。鳥の声や静かな旋律は、場の気をやわらげ、緊張をほどき、生命のリズムを整える。診療院に流れる音は、見えない処方のようなものかもしれない。

花麒麟はその縮図のようだ。何も急がず、何も誇らず、ただ咲く。

咲くことが目的ではなく、咲く状態にある――そんな存在である。

長生きとは、時間を延ばすことではなく、流れに逆らわないことなのかもしれない。過剰でも不足でもなく、ちょうどよいところに身を置くこと。環境と調和すること。

窓辺の花を見ていると、医療とは何かという問いにも通じてくる。治すとは、外から力を加えることではなく、本来の秩序を取り戻す手助けをすることではないか。

今日もまた、鳥の声が静かに流れ、花麒麟は変わらず咲いている。

その姿は、静かに語りかけてくる――

整った環境の中でこそ、生命は長く、そして美しく続くのだと。
2026-02-26