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「狸小路の魅力を探れ!~狸小路の今と昔~」
カテゴリー 日本
2024年度札幌観光大使視察交流会「狸小路の魅力を探れ!~狸小路の今と昔~」が、3月18日午後、2023年7月に札幌にグランドオープンした複合施設「moyuk SAPPORO」内の都市型水族館「AOAO SAPPORO」4階広場で開催されました。

講演会は「狸小路おもしろ歴史散歩」と題し、狸小路の歴史や最新情報、人気スポットについてお話しいただきました。講師は街歩き研究家の和田氏。和田氏は1972年札幌市生まれで、日本大学法学部卒業後、広告代理店や地元情報誌の編集者を経て独立。現在は札幌の歴史を雑誌連載やテレビ、ラジオ、YouTubeなどで発信しています。また、北海道科学大学客員教授を務め、著書に「古地図と歩く札幌圏」シリーズ(あるた出版/2020年~)などがあります。講演では、狸小路の歴史や古写真を紹介しながら、多くの知られざる物語を語ってくださり、札幌の歴史を深く学ぶことができました。

32年前、私が日本に来た時、札幌市中央区南7条西11丁目に住んでいました。通っていた学校はIAY(南一条西四丁目)で、特に冬の雪が積もる時期には自転車での通学が大変でしたが、雪の少ない狸小路を通ることで助かっていました。当時の狸小路の写真を見ると、懐かしい気持ちが湧きます。しかし、学生だったため、狸小路の店を利用することはほとんどありませんでした。今回、西10丁目から1丁目までの店の過去と現在を紹介していただき、大変興味が湧きました。今度はぜひ、ゆっくりと訪れてみたいと思いました。

狸小路の名前の由来について、和田氏は次のように説明しました。もともと狸小路は単なる「仲通り」に過ぎませんでしたが、1873年(明治6年)に劇場が建てられ、人出を当て込んで周辺に飲み屋が立ち並ぶようになりました。そこに出入りする人々を客引きする娼婦たちが現れ、「あそこへ行くと美人の狸(娼婦)に化かされるぞ」と言われるようになったことから、「狸小路」と呼ばれるようになったという説が有力だそうです。また、狸小路の中で1丁目だけに十字路が存在し、この狸小路と直角に交わった仲通りは、昔は「狐小路」と呼ばれていたとのことです。

知らないことばかりで、とても興味深い講演会でした。講演会後は、都市型水族館「AOAO SAPPORO」で「生命のワンダー ~みえないものがみえてくる~」をテーマに、札幌大通エリアにいながら水辺の生物や大自然の素晴らしさ、地球の多様性を感じることができました。その後、地下2階にある中華バル「唐韻【AOAO SAPPORO】」で懇親会が行われました。新人観光大使の歓迎を兼ねて、和田先生ともさまざまな話をしました。北海道の地名はアイヌ語に由来するものが多くありますが、アイヌ語の発音に日本語にない音があるため、漢字を当てはめる際に誤解が生じることが多いそうです。例えば、本来の「藻岩山」が「円山」と名付けられたように、アイヌ語が分からない探検者の記録に頼った命名や、二文字漢字を地名にする規則に制限されたため、アイヌの呼び名と異なる地名が多く存在すると和田先生は話していました。

楽しい札幌観光大使視察交流会でした。
2025-03-19