陶氏診療院

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文化の伝承と文字の伝承
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ベトナムダナンの旅、三つの世界遺産を周り、かなり欲張りな旅でした。

ミーソン遺跡*、インドからのヒンドゥー教の神様・シヴァ神が祀られている等謎深き場所に、今でも解読不明な石碑がありました。仏教徒は、現在ベトナム人口の多数になり、中国語を千年以上を使っており、遺跡に残された文字は、全部漢字です。私は楽々読めるけど、ガイドさんは読めなかったです。

漢字を使うベトナムは、18世紀フランスの植民地時代、漢字が廃止され、フランス人により、今のアルファベットのベトナム語になりました。昔は、役員や僧侶が漢字を勉強するけど、平民は漢字の勉強するチャンスがない、近代に連れ、今の若者は漢字が読めないです。博物館や遺跡、寺院などの漢字も、飾りとして、若者にあまり意味が通じないです。

そのため、ベトナムの文化の伝承、歴史の認識には、大変支障になるでしょう。植民地は第一次戦争時代の産物で、それ以前は、植民地の概念もなければ、奴隷制度のようなベトナムのフランス植民時代はないでしょう。しかし、何人ものガイドさんが、フランス植民地以前は、中国の千年以上の植民時代と紹介されて、中国の官僚や、武装力も出さない中国に対しての朝廷貿易関係、植民地の言い方に違和感がありました。

数人のガイドさんも同じ認識だから、きっとベトナムの教育はそう教えるでしょう。

最近経済発展を目指すベトナムは、投資するアメリカ、韓国、日本の感謝の言葉はよく口に出します。同じ投資する中国は、批判の言葉しかない。ベトナムと中国の関係の現状でしょう。

漢字文化の断裂により、ベトナムの歴史や文化の伝承はどうなるでしょう。ベトナム航空会社の機内誌を探しても、英語とベトナム語しかない、漢字がありませんでした。古い建築と民家の表には、漢字の看板しかないです。今の若者が読めないから、いつか消えていくでしょう。幸い、仏教の中に、僧侶たちは漢字の勉強は残っていました。

*【ミーソン遺跡】
2世紀末から17世紀までの長きにわたりベトナム中部に栄えたチャンパ王国。

9世紀以降は東南アジアの海上交易の担い手として中心的役割を果たしました。ミーソン遺跡はこのチャンパ王国の聖地として、王とシヴァ神を祀るために、初期は木造、のちに多くのレンガを用いて4~13世紀の間、継続建設されました。

東南アジアにおいて900年もの長きにわたりこうした宗教建築が継続的に造営されることは非常に珍しく、東南アジア史において極めて重要な遺跡です。

初期の木造建築は自然崩壊、レンガ造りの一部の建物はベトナム戦争時に解放軍の基地として使用され米軍の空爆目標として攻撃を受けかなり崩壊しており、初期に建設されたものは現在はほとんど残っておりませんが、それでも8~13世紀に建てられた70を超える遺跡群が広がっており、 ホイアンの街並みと同じく1999年に世界文化遺産に登録されました。
2019-05-23